平成ノスタルジー

 夏休みが始まると、授業のあった今までよりもずっと忙しくなった。

 受験生の夏。毎日夏季講習に学校に通いがてら英単語を覚えて、五時間で一枚のデッサンをする。学科の対策をする。家に帰ると勉強の復習をして、ツイッターで俗っぽい活字を摂取すると、一安心していつの間にか眠っていた。

 バルブを失くした蛇口の水のように時間がすぎてゆく。いくら惜しんでも水はいつか尽きる。焦燥と不安に駆られる日々。こんなにも苦しいのに、いつの日かこの時代に戻りたいと考えるようになってしまうのだろうか。大人達の言うように、今が一番楽しい時期なのだろうか。卒業すればゆるゆると死へ向かって下降しながら同じ日々を繰り返すだけの大人になってゆくんだろうか。どうしてそんな大人になるためにこんなに一生懸命になっているんだろう。

 こんなことは、思春期に入ってからずっと頭の中でこだましていることだ。誰でも考えることだ。きっと思い出は美化されて、苦しみも忘れて、今抱えているあまりにも大きな気持ちは、思春期らしいこっぱずかしくて馬鹿みたいに小さいものに見えるようになるんだろうと思う。ただ美しいだけのものに変化した記憶を、一生抱えて生きてゆくのだろう。それは寂しいことだ。それでも美しいものでもあることに変わりは無い。

 

 いつかなんども思い返すことになるであろう記憶が、たった今目の前で繰り広げられる。私は過ぎてゆく時間が惜しくて、なんとか掬い上げて、目に、頭に、焼き付けようとする。日々があまりにも苦しくて、美しくて、尊いのだ。掬い上げようとする時間は、どうしたって指の隙間を伝って流れてゆく。時間の流れに対する無力感というのは死に対するそれと似ている。死に続ける時間、死に続ける私と友人たちと世界。物としては同じでも、その瞬間の全く同じものとはもう二度と会えないのだ。

 

 夏の模試が終わると、お盆の三連休がやってきた。勉強が一段落ついたのでやっと心が落ち着いて、久しぶりに自分の好きな絵を描いた。

 三連休中も学校に赴いた。けれども受験勉強の為ではなく、夏休みが終わるとすぐに文化祭がやってくるのでその準備のためだ。昇降口に飾る為の、大きな大きなベニヤ板のパネルにペンキでのびのびと絵を描く。早起きせずに10時前に行っても良いし、電車の中で単語を見なくてもよい。いつもは満員の電車は空いていて座席に座ることができる。受験から一旦離れることへの罪悪感を押しやり、単語帳の代わりに漫画を開く。折角のお盆休みなのだ。先に学校で絵を描いているであろう友人の好きそうなものをコンビニで見つけ、差し入れに買ってゆく。

 お盆の学校は極めて人が少ない。教師は最低限の人数で、生徒も殆どいない。静かな学校で楽しいことの準備の為に絵を描くと、苦しいことを忘れて、夢中になれる。たまに口を開いて友人と何気ない楽しい会話をする。ただただしあわせなことだなあと思った。

 

 今日、パネルを完成させてくれと先生に言われた。日焼けしていて筋肉質な、熊のように大きな図体の彼は、どう見たって美術教師には見えない。しかしこの先生は繊細でありながらダイナミックな素敵な絵を描く。行事ごとには人一倍熱心に参加し、生徒を楽しませようと企画のほとんどを請け負っている。彼は無茶ぶりはするが、その代わりそれを達成できるようにできる限り協力してくれる。

 先生の作業場と化している美術室で、最後の仕上げをする。友人は全体の細かな加筆をし、私は友人の苦手なレタリングをした。明朝体の「平成最後の文化祭」。先生の言うところには、平成最後というのはかなり重要なことらしい。「お前らも今回で最後の文化祭やろ。…おれももう今年で最後にしたいしな」彼は定年退職する年齢だ。その若々しさについ忘れてしまうが。この散らかった先生の作業場も、先生がいなくなればすっかり片付けられてしまうのだろうか。学校中にある膨大な量の鉢植えの植物も、世話をしているのは先生だけなので、なくなってしまうのだろう。行事はこの先生がいなければ成り立たないのではないか。いろいろな心配が頭によぎるが、すべて私たちが巣立った後の話だ。すべて最後なのだ。平成最後の夏。高校最後の夏。多くの人にとっての最後の文化祭。

 

「文化祭って、準備してるときは楽しいけど、いざ始まってしまうと悲しくならん?始まった瞬間終わりってかんじ」

「わかる、ああ、はじまっちゃったなあ、って思う」

「よね、文化祭終わったら学校の行事はもうほぼ全部終わりじゃん」

「その準備をしてると思うと切なくなるな」

 

 パネルは最終下校間近になって完成した。窓の外に出すと、先生が昇降口の上に設置した。その後、先生がお疲れ様とシャトレーゼのアイスをくれた。片づけを終え、作業着から制服に着替え、友人と他愛もない話をしながらアイスを食べた。青春の一ページ。何気なくてとても綺麗な瞬間だった。

 暗くなる前にさっさと帰れと先生に追い出されて昇降口から外に出て振り返ると、教室の床の一辺と変わらない全長の、完成した大きなパネルが夕日を跳ね返していた。平成最後、という文字に控えめな青色を選んだのが、やけに切なげになって見えた。完成してしまったなあ、と思った。友人はその大迫力のパネルを、ずいぶん長い間、惜しがるように見ていた。考えることは同じなのだ。流れて行ってしまうのが惜しい、あまりにも美しい日だった。